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『クラシック』と『料理』の  おいしい関係


by naxosjapan

第3回 ヘンデル 「ハレルヤ・マーマレード」

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Georg Friedrich Händel
(1685-1759)


たっぷりとした二重あご、傾斜のある額、立派な眉間、少し突き出た下あご。
いかにも豪快な食生活を連想させるような風貌。
彼の名は、ヘンデル。 

バロック期を代表する重要な作曲家の一人として知られ、劇場用音楽などで才能を発揮。
その作風は簡潔で劇的で、直接的な表現力に富んでいました。

時代は変わりますが、ヘンデルが生まれる1世紀前の16世紀。
この時代の料理と近世のオペラには共通点がありました。
それは・・・《美の追求》です。

16世紀の料理といえば「中世料理」。
そもそも近世・近代ヨーロッパ料理の基礎はこの「中世料理」にありました。
そしてそれは、「素晴らしい料理というのは単に技巧的なものというだけでなく、芸術的なものである」という考えのもとに成り立っていました。

驚くべき労力や費用をかけて材料を調達し、食物の持ち味を生かし、甘味や酸味を対照的にひきたたせ、混ぜものを使ったり食物の飾りつけに彫刻や装飾をほどこすなどして、芸術的なみごとさを強く表現しようとしていたそうです。

しかし芸術的なものは全て音楽に投影させたヘンデルは、そのように食に美を求めることはほとんどありませんでした。
彼にとって「食」とは、むしろ内面的な部分を支えてくれる存在であったからです。



ヘンデルは1685年2月23日に中部ドイツのハレに生まれました。
宮廷付外科医として働く父親と信仰心の厚い母親のもと、すくすくと成長します。

幼い頃から音楽に対し異常な関心を示しはじめたヘンデルに対して、父・ゲオルクはひどく悩んでいました。
なぜならわが息子には将来、「法律学」を学ばせたいと考えていたからです。
しかしその後、ゲオルクが仕えていた宮廷の公爵がヘンデルの才能を見抜き、彼を音楽の道へ進ませるようゲオルクを説得したのです。
まんざらでもなかったゲオルクだったのですが、彼はヘンデルがわずか12歳の頃に他界してしまうのでした。

ヘンデルは父の遺志を継ぐことを決心し、法律学を学ぶため「ハレ大学」に入学。
その一ヶ月後、ハレ大聖堂(改革派)のオルガニストを任じられ、再び音楽に携わる機会を得ます。
一年後にはハンブルグ・オペラ劇場のヴァイオリニストに就任。さらにイタリアへ渡りオペラの研鑚を積むと、ヘンデルは「音楽家」という人生に確固たる志を置くようになるのでした。

1710年秋、ヘンデルが旅行で訪れたロンドンではちょうどイタリアオペラが好機を迎えていました。
そこで彼はとある劇場支配人と知り合いになり、あるオペラ企画の作曲を依頼されます。
わずか二週間で仕上げたこの作品は、歌劇「リナルド」と言いました。

十字軍と異教の勇士たちが繰り広げるこの雄大なロマン溢れるオペラは、何度も再演されるほどの人気を博します。
久しくオペラのなかったロンドンにも、ようやく低級な催し物に対する反動が表れはじめ、オペラを復興するために何かをしようとする動きが出はじめていました。

そこでヘンデルは1720年4月、経営について絶大な手腕を発揮したハイデッカーと共に「王室音楽アカデミー」を設立。
後に本アカデミーのオペラ企画支配人となり、ひきつづき馬車馬のように働き続けました。
しかし一方で、ヘンデルの身には大きな変化が起こっていたのです。

睡眠障害に陥り、仕事で移動するほかはほとんど運動もせず、身体は肥大化。
その上かなりの健啖家でレストランでは三人前を注文し、平らげることも少なくなかったそう。
さらにはビールやコーヒー、煙草などの嗜好品も手放せない状態となっていました。

そもそもヘンデルは長身で大柄で非常に体力のある人でした。
しかし多忙な作曲活動と「王室音楽アカデミー」の運営を両立させるためには、さすがの彼といえども嗜好品のもつ力に頼らざるを得ないことも事実でした。

その中でも特に、彼のストレスを解放してくれたものがあります。
それは「マーマレード」です。

もともとはドイツ出身のヘンデルですが、「リナルド」の成功以来、ロンドンに定住して仕事を続けてきました。
イギリスはジャムが美味しい国として知られていますが、ヘンデルもその魅力に取り憑かれた一人だったのです。

果物は、長い歴史の中でナッツや花などと同じように使われ、健康に非常に良いものとされてきました。
生食や燻製、コンポート(丸ごとの砂糖煮)やパイ、シチューや詰めものをはじめ、煮込んだ果物は晩餐の前に出されたり、砂糖漬けのデーツのように保存用にも使われたりしていたそうです。

本日はヘンデルが溺愛したと言われる「はちみつマーマレード」を作ってみました。

****

(材料) 3~4人前
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・オレンジ(皮と果肉を合わせて) 300g
・はちみつ 100~200g
・水 適量

オレンジに貼られていたシールが、なんとなくヘンデルに似ていた。

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※マーマレードとジャムの違いとは?
柑橘類を原料とし、その果皮も含まれるものがマーマレード。果実片が入らず、果汁を原料として作るものをゼリー、そしてマーマレードとゼリー以外のものを、ジャムと呼んでいるのだそうです。


(作り方)
1.オレンジはよく洗い、皮と薄皮を剥き、(a. b.)果肉を取り出す。(c.)
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2.皮を鍋に入れ、たっぷりめに水を入れ、強火にかける。(a. b.)沸騰したら(c.)弱火にして、皮が軟らかくなるまで煮る。
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4.皮が軟らかくなったら湯を捨て、水にさらし、熱を取り、(a.)細切りにする。(b.c.)
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5.4と果肉を鍋に戻し、(a.b.)はちみつをいれる。(c.)鍋に火をかけ、底を絶えずかき混ぜながら煮る。(d.)
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※アクが出てくるので、(a.)そのつど取り除くこと。(b.)
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7.沸騰したら2~3分間煮、アクが少なくなりツヤがでてきたら火を止める。

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できあがり。

実はここからが『本題』。ヘンデルのマーマレード好きはその「食べ方」にあるのでした。
それは・・・“山のように積み重ねる”こと!

そうなんです。ヘンデルはパンやクッキーにこれでもかというほど、マーマーレードをのせて食べるのを好んでいたのです。実際にそうしてみました。

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…。

こ、これは…。

苦悩の分だけ高く積み上げていったのでしょうか。
私も己の苦悩の分だけ積み上げ、試食してみました。

♥♥♥♥♥♥♥♥ 8点
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「あま----------------い!」
端的に「うまくて甘い♥」です。
完全無欠、はちみつとマーマレードonlyの純度100%マーマレードです。
保存物、添加物一切なし!
皮の苦味がはちみつの甘さと絶妙なバランスです。
いやぁ、自分で作れちゃうんですね。マーマレードって。

しかもこのライ麦のパンにピッタリなんです。
パン自体に砂糖が入っておらず酸味の方が強いので、甘いマーマレードとちょうどいいのです。
あ、お茶請けにもいいかも。

ただあまりに高く積み上げると、食べるときが大変です、本当・・・。


****

近世ヨーロッパの人々はカロリー摂取量の80%前後を穀物で摂取していました。
その主たる食品というのが「パン」です。

中世の頃から多くの種類のパンが出回っていましたが、当時最も人気のあったのは「マズリン」もしくは「ミックスティリオ」と呼ばれた小麦とライ麦の混ざった雑穀パンだったそうです。
近世ではライ麦などで作られた黒いパンと、白い軟質小麦パンを主食としていました。

ここで用意したパンもライ麦で作られたものになります。
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・プンパニッケル(ライ麦100%)
・シュヴァルツブロート(ライ麦85%) 酸味が強く重いタイプ
・ロッゲンブロート(ライ麦50%) 色が白く味はなめらか。初心者の方におすすめ。


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“はちみつ”も大好物だったヘンデル。
はちみつの入った壺の中にパンを浸して食べることもあったのだとか。見るからに甘そう。

当時、砂糖とはちみつは大衆的な嗜好品としてそれぞれに使われていましたが、砂糖が不足したり高価すぎたりしたときには、はちみつが代用されました。
古くて粒状になったり固まったはちみつは溶かして液状にし、元のきれいな半透明のシロップにもどして使われたそうです。


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順調に見えた「王室音楽アカデミー」も1733年に設立された「貴族オペラ」の存在と、経営方針の相違で起きたハイデッカーの辞去により経営が悪化。
一人で全ての業務をこなしていたヘンデルは、眠れない日々に加えしばしばリウマチの激痛に苛まれました。

1737年、事実上の倒産を迎えたこの劇場を後にし、彼はリウマチのためアーヘンへ温泉治療へ向かうのですが、ここでの治療が彼の肉体を復活させたばかりか、音楽においても新しい転機を与えてくれるとは思いもよらなかったことでしょう。

翌年には演技のあるオペラから決定的に足を洗い、純粋な音楽形式である劇的なオラトリオへ作曲の意欲を示し、今日最高傑作と称されるオラトリオ「メサイア」を、わずか1ヶ月半という驚異的な早さで完成させました。

この「メサイア」が最初に演奏されたとき、聴衆は全曲を通じて感動し、コーラスがハレルヤの中の《全能にして主なるわれらの神は》にさしかかると、彼らはわれを忘れて一斉に席を立ち、コーラスが終わるまで立ちつくしていたのだと言われています。

♪オラトリオ「メサイア」 - ハレルヤ・コーラス
Messiah: Hallelujah

本来であればもっとオペラの制作がしたかった。
しかし身も心も限界を迎える中、市民の心がオペラから離れていくのを留めることなど決してできない。

そのような葛藤を持ちつつも大成功を収めた「メサイヤ」は、ヘンデルにとって大きな転機となりました。
聴衆の層は拡大し、支持者を得、ついには彼を栄光の座へと導いたのです。

オラトリオの世界に手ごたえを感じたヘンデル。
それと同時に彼はこれまで支えとなってきた、ありとあらゆるものに感謝していたに違いありません。
そう、きっと「マーマレード」にだって。

「ハレルヤ」とはヘブライ語で(主をたたえよ)という意味。
この「ハレルヤ」には彼の“永遠に変わらない感謝”と“すべてに捧げる賛美”も込められているような気がするのでした。


終わり

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参考文献,資料:
渡部恵一郎, ヘンデル(大音楽家・人と作品(15)).音楽之友社,1966
話題の達人倶楽部. 天才の食卓. 青春出版社,2003
法政大学出版局. 音楽と病-病歴に見る大作曲家の姿. ジョン・オシエー. 菅野弘久=訳,1996
原書房. 中世の饗宴―ヨーロッパ中世と食の文化. マドレーヌ・P. コズマン. 加藤恭子/平野加代子=訳,1989
海鳥社. 音楽が聴こえてくるお菓子. 三浦裕子,1999
藤原書店. 食の歴史 (2). J‐L.フランドラン, M.モンタナーリ, 宮原信=訳,北代美和子=訳,菊地祥子=訳,末吉雄二=訳,鶴田知佳子=訳, 2006
日清製粉グループ 日清製粉株式会社. ドイツパンをたのしもうハンドブック. 紀ノ国屋インターナショナル

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